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東俣トンネル

 大正時代になると児童数が急増した南方尋常小学校は、2校分離案と1校での増設案に村民の意見が2分、対立が深まった。曲節の末分離案となったが、増設派の住民は隣接の小山田村と合併しようと自らの労力と浄財で2つのトンネルと道路を完成させた。児童の通学路の確保が目的だった。現在は整備されたこのトンネル1つと道路が残っている。

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